最近、AIアイドルをプロデュースしてみました。
その一方で、「10秒統計クッキング」という企画もやっています。
そして、なんちゃって小説も書いてみました。
こうやって並べてみると、自分でも思います。
何がしたいんだ、この人。
発信をするならテーマを絞った方がいい。一貫性があった方が覚えてもらいやすい。「○○の人」というポジションを取った方が強い。
たぶん、全部正しいです。
だから最近、少し困っています。
正しいことをすればするほど、自分がやりたいことから遠ざかる気がするんです。
「何者か分からない」は、やっぱり弱い
たとえば私が、ずっと統計について発信していたとします。
統計の面白い話をして、統計の動画を作って、統計の記事を書く。
これは分かりやすい。
「ああ、統計の人ね」
一言で説明できます。
でも現実の私は、そこから突然アイドルをプロデュースし始める。かと思えば小説を書く。そして「10秒統計クッキング」なんてものもやる。
知らない人が見たら、たぶん同じ人がやっているとは思わないでしょう。
ブランドという意味では、かなり困った状態です。
何をフォローすればいいのか分からない。次に何が出てくるのか予想できない。仕事を頼む側からしても、「この人は何が得意なんだ?」となる。
だから「一貫性を持った方がいい」という話は、よく分かります。
実際、私も何度か思いました。
何か一つに絞った方がいいんじゃないか。
でも、そのたびに妙な引っかかりが残ります。
一つに絞った瞬間、たぶん私はつまらなくなる

仮に、これから「統計だけやる」と決めたとします。
すると次に何か思いついたとき、判断基準が一つ増えます。
「面白いか?」ではなく、
「統計と関係あるか?」
になってしまう。
これ、けっこう怖いです。
本当はめちゃくちゃ面白いアイデアなのに、「自分のジャンルじゃないから」という理由で捨てることになるかもしれない。
小説を書きたくなっても、「いや、自分は統計の人だから」となる。
アイドルを作ってみたいと思っても、「フォロワーが混乱するからやめよう」となる。
そうやって一貫性を守っていけば、確かに「何者か」は分かりやすくなります。
でも、その何者かは、本当に自分なんでしょうか。
少し変な話です。
自分を分かりやすく説明するために、自分の一部を削っている。
そもそも、一貫性って「同じことをすること」なのか
ここで、最初の前提を疑いたくなりました。
アイドルプロデュース。10秒統計クッキング。小説。
確かにジャンルはバラバラです。
でも、本当に何の共通点もないんでしょうか。
自分がなぜそれをやりたくなったのかを考えてみると、少し違って見えてきます。
完成されたものを見るより、「これをこうしたらどうなるんだろう」と考えるのが好きです。
普通にあるものを、そのまま出すより、ちょっと変な角度から出したくなる。
思いついたら、頭の中だけで終わらせず、とりあえず形にしてみたくなる。
統計そのものが好きだから「10秒統計クッキング」をやっている、だけではない。
アイドルそのものが好きだからプロデュースしている、だけでもない。
小説だけを書きたいわけでもない。
もしかすると私がずっとやっているのは、
「これとこれを組み合わせたら、何が起きるんだろう」
という実験なのかもしれません。
だとしたら話が変わってきます。
ジャンルには一貫性がない。
でも、好奇心の向きには一貫性がある。
「何をやる人か」より「どう見る人か」
ここまで考えて、二種類の一貫性があるんじゃないかと思い始めました。
一つは、「何をやるか」の一貫性。
ずっと料理を作る。ずっと投資について話す。ずっと小説を書く。
これは外から見て分かりやすい一貫性です。
もう一つは、「どう見るか」の一貫性。
題材は変わっても、毎回ちょっと変なところに引っかかる。
普通なら組み合わせないものを組み合わせる。
「それって本当にそうなの?」と一回疑ってみる。
こっちは、かなり分かりにくい。
プロフィール欄にも書きづらい。
「統計の専門家」なら一言で済むけれど、「いろんなものを見て、なんか変なところに引っかかって、思いついたら作ってみる人」では長すぎます。
でも、人間としての一貫性は、むしろこっちにある気もするんです。
「ブレない人」より、「戻ってくる場所」がある人
もちろん、何でもやればいいという話でもありません。
今日ラーメンを作って、明日プログラミングをして、明後日恋愛相談をして、それぞれに何の接続もなければ、受け手はかなり困ります。
「好きなことを全部やれば、それが個性です」と言ってしまうのも、ちょっと都合がよすぎる。
一貫性には、やっぱり意味があると思います。
ただ、一貫性を「同じ場所から動かないこと」だと考える必要はないのかもしれません。
むしろ、どこまで行っても、なぜか同じところに戻ってくる。
アイドルを作っても。統計を料理しても。小説を書いても。
振り返ると「ああ、また同じことを考えてるな」となる。
そんな一貫性もある。
木で考えると分かりやすいかもしれません。
枝だけ見れば、全然違う方向へ伸びています。右にも行く。左にも行く。途中で分かれる。
でも、根っこは同じです。
一貫性って、枝を一本にすることじゃなくて、根っこが同じことなのかもしれません。
過去の自分に、一生ジャンルを決めさせなくていい

そしてもう一つ。
「一貫性が大事」という言葉には、ちょっと危ないところがある気がします。
それは、過去に選んだものが、未来の自分を決めてしまうこと。
最初に統計で少し反応が取れた。だから統計を続ける。
統計の人として覚えられた。だから統計以外を出しづらくなる。
そのうち、自分自身も「私は統計の人なんだ」と思い始める。
もちろん、それで幸せなら何も問題ありません。
でも途中で、アイドルを作りたくなったら?
小説を書きたくなったら?
そこで「一貫性がなくなるから」と諦めるのは、少しもったいない。
昨日までの自分を裏切らないことより、今日面白いと思ったものを追いかける方が大事な時期もあるはずです。
というか、そもそも人間なんてそんなに一貫していません。
仕事中の自分と、友達といる自分は違う。
昔面白かったものと、今面白いものも違う。
好きだったものに飽きるし、興味がなかったものに突然ハマる。
それなのに発信するときだけ、
「あなたは○○の人です。そこから動かないでください」
というのも不思議な話です。
だから、しばらくは何者か分からないままでいい
最初に並べた三つを、もう一度見てみます。
アイドルプロデュース。10秒統計クッキング。小説。
やっぱり、バラバラです。
無理やり「実は全部○○というテーマでつながっています」と説明するのも違う気がします。
今のところ、本当につながっているのかも分からない。
数年後に振り返ったら、「いや、あれは普通に迷走してたな」となる可能性だってあります。
でも、それも含めていいのかもしれません。
一貫性は、始める前に決めるものではなく、後から振り返ったときに見つかるものなのかもしれない。
「あの頃いろいろやってたけど、結局ずっとこれをやってたんだな」と、未来の自分が気づく。
だったら今、無理に枝を切らなくてもいい。
アイドルを作って、統計を料理して、小説を書く。
相変わらず何がしたい人なのか、よく分かりません。
ただ最近は、それを前ほど悪いことだと思わなくなりました。
何者かになるために一貫するより、何者なのか分かるまでブレてみる。
もしかすると、一貫性って、そのあとで見つければいいものなのかもしれません。

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