あのとき、違うほうを選んでいたら
ときどき、ふと考える。
あのとき、
違う会社を選んでいたら。
あのとき、
あの銘柄を買っていたら。
あのとき、
レジに並んでいたら。
選ばなかったほうの人生が、
妙に具体的に浮かぶ夜がある。
だいたい、うまくいっている
不思議なことに、
選ばなかったほうの未来は、
だいたいうまくいっている。
もっと自由だったかもしれない。
もっとお金が増えていたかもしれない。
もっと後悔しなかったかもしれない。
あちらの人生は、
なぜか順調だ。
失敗も遠回りも、
あまり想像されない。
比べている相手は、だれかじゃない。
もうひとつの世界線の自分だ。
編集された未来
よく考えてみると、
比較しているのは“現実の自分”と、
“編集された未来”だ。
選ばなかった人生には、
ミスも、停滞も、焦りも描かれていない。
都合の悪い場面は、
きれいにカットされている。
だから、輝いて見える。
存在しないものは、
いつだって完璧だ。
想像できるのは、いまを選んだから
もしあちらを選んでいたら、
いまの不安はなかったのだろうか。
もしあちらに進んでいたら、
もっと自信を持てていたのだろうか。
考えても、
確かめようがない。
でも、ひとつだけ確かなことがある。
いまの選択をしていなければ、
こんな想像すら生まれなかったということだ。
違う会社を選んでいたら、
この会社のことを悩むこともない。
あの銘柄を買っていなければ、
値動きに一喜一憂することもない。
レジに並んでいなければ、
カゴの重さを思い出すこともない。
選ばなかった世界線は、
いまを選んだからこそ見えている。
盤上にあるのは、ひとつだけ
将棋やチェスの盤面のように、
人生にも分岐はある。

でも、盤上に残っているのは
“いまの局面”だけだ。
選ばなかった手は、
もう指せない。
あちらの人生は、
可能性のまま、
静かに消えている。
それでも考えてしまう理由
選ばなかった人生は、
いつも少しだけ美しい。
でも、
呼吸しているのは、
いまの自分だけだ。
そして、
こういうことを考えなくなったときのほうが、
少し怖いのかもしれない。
分岐を想像しなくなったら、
それはもう、
「選んでいない」のかもしれないからだ。
迷うということは、
まだ盤面を見ているということ。
選ばなかった人生を思い浮かべられるのは、
いまの人生をちゃんと動かしている証拠だ。
残り一手は、
いつも“いま”にしか置かれていない。
そして、
考えているうちは、
まだ指せる。

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