午前9時46分。
東京証券取引所。
トレーダーたちの声が、低くざわめいていた。
大型モニターには、銘柄コードがいくつも並んでいる。
城南テック。
株価は――
1825円
神谷レンは、スマートフォンの画面を見つめていた。
カフェの窓際。
通勤客が流れていく。
ミナトから送られてきたメッセージ。
9:47、見てください
レンは時計を見る。
9:46:30
30秒。
ただの予言なら、もう笑える。
だが、昨日の出来事が頭から離れなかった。
会社に警察。
上司の顔。
消えたメール。
そして
あと一手です
レンはコーヒーを一口飲む。
苦い。
9:46:50
カウントダウンみたいに秒針が進む。
9:47:00
その瞬間だった。
画面の株価が
1825 → 1800
落ちた。
レンは眉をひそめる。
「……」
まだ誤差だ。
株価は普通、上下する。
だが
その直後。
1800 → 1760
1760 → 1690
レンはスマホを握り直した。
「おいおい……」
チャートが、崖になっていく。
売り注文が止まらない。
1690 → 1580
1580 → 1440
カフェのテレビでもニュース速報が出た。
城南テック株 急落
レンは立ち上がった。
心臓の鼓動が速くなる。
「……なんだこれ」
売りが、異常だった。
まるで
誰かが一斉に売っているみたいに。
そのとき、スマホが震えた。
ミナトからだった。
見ましたか
レンはすぐ電話をかける。
数秒で繋がる。
「お前、これ」
「はい」
「なんなんだよ」
「始まりです」
「だから何の」
「株価崩壊の」
レンは言葉を失った。
城南テック
1440 → 1320
まだ落ちる。
「お前、知ってたのか」
「予測です」
「予測でこんな当たるかよ」
「当たります」
「なんで」
ミナトは少し間を置いた。
「人間は同じ動きをするからです」
レンは窓の外を見る。
スーツ姿のサラリーマンが歩いている。
誰も、世界が崩れ始めていることに気づいていない。
「会えますか」
ミナトが言った。
「今」
レンは少し考えた。
無職。
警察沙汰。
株価崩壊。
どれも、昨日までの人生にはなかった出来事だ。
「……どこ」
ミナトが住所を告げる。
神田。
レンは苦笑した。
「近いな」
「ええ」
ミナトは言った。
「すぐです」
蒼星リサーチは
古い雑居ビルの三階にあった。
エレベーターの扉が開くと、少し埃っぽい空気が流れてくる。
ドアには小さなプレート。
蒼星リサーチ
レンはノックした。
中から声。
「どうぞ」
ドアを開ける。
思ったより狭い。
デスクが三つ。
ホワイトボード。
株価チャート。
そして
一人の女。
黒崎ミナト。
黒いシャツ。
長い髪。
思ったより若い。
レンは言った。
「……あんたか」
ミナトは椅子から立った。
「神谷レンさん」
レンは部屋を見回す。
「ここが」
「蒼星リサーチです」
「四人って言ってたよな」
「はい」
その時、奥の机から声。
「三人です」
振り向くと
パーカー姿の男がいた。
キーボードを叩いている。
「タクミです」
レンは軽く手を上げる。
「レン」
タクミは画面を指した。
「城南テック」
モニターに株価。
1210円
まだ落ちている。
レンは言った。
「これ」
「空売りです」
ミナトが答える。
「誰が」
タクミがキーボードを叩く。
数秒。
画面が切り替わる。
大口注文履歴。
そこに名前。
タカミヤ・キャピタル
レンは目を細める。
「ファンドか」
ミナト
「ええ」
「大量に売っています」
レンは椅子に座った。
「つまり」
「こいつが」
「株価を落としてる」
ミナトは首を振る。
「違います」
レン
「は?」
「落ちるのを」
「知っているだけです」
レンは黙った。
タクミが言う。
「来た」
画面。
城南テック
1190 → 1100
レン
「まだ落ちるのか」
ミナト
「ええ」
レン
「どこまで」
ミナトはチャートを見る。
そして言った。
「700円」
レンは笑った。
「冗談だろ」
その時
ニュース速報が流れた。
城南テック社員
マンションから転落
部屋が静かになる。
レン
「……」
タクミ
「まじか」
ミナトは画面を見たまま言った。
「始まりました」
レン
「何が」
ミナトはゆっくり振り向いた。
「会社が壊れると」
少し間。
「人も壊れます」
レンは何も言えなかった。
モニターの株価は
1080円
まだ落ちていた。
そして
その社員の名前が
ニュースのテロップに出る。
山下ケンイチ(35)
レンはその名前を見た。
そして
昨日届いたメールを思い出す。
あと一手です
レンは小さく言った。
「……これ」
「ゲームか」
ミナトは答えなかった。
窓の外で
サイレンの音が鳴っていた。
株価チャートは
まだ落ち続けている。
そして
その線の下に
見えない誰かの手があることを
レンはまだ知らない。
